「みんなの日本語」に限らないけど教科書体使ってる時点で使用は控えるべき。今どき町中どこ見渡してもネット上の日本語見ても教科書体見ることってほぼほぼないし、特に日本で生活してる学習者だったら混乱させるだけじゃないかな。手書き時代に作られた教科書を未だにアップデートしない意味よ。
— 佐藤はやと @日本語動画教材開発者&SNS運営 (@Hayato_Sato4989) October 15, 2022
結構な賛否があり、1日後のツイートのインプレッションは結構なものでした。

これは完全に日本語教育者向けのツイートでインプレッションの割には「いいね」が少なすぎるので多くの日本語教育関係者にとって受け入れられない内容だったのだと推察されます。
長年教えられてそう信じてきたものやそう教えてきたことを間違いだと認めるのは辛いものです。
僕も日本語教師養成講座では「学習者に配布するプリントは教科書体だ」と習い、日本語学校でもプリントはかならず教科書体でと指導されました。
しかし、本当にこれでいいのでしょうか。
というのも町中を彩る看板の文字、スーパーの商品棚に並ぶ商品の文字、飲食店のメニュー、我々はありとあらゆる文字に囲まれていますが、その中で教科書体を見かけることはほとんどありません。
近年来日する留学生はアルバイトしている人がほとんどですが、僕が日本語学校に勤めていた時彼らの多くが
「教科書の字とバイトや町で見る字が違います」
と困惑していました。
特に「さ」「き」「ふ」などは教科書体とその他ゴシック体や明朝体などとは全然違い、留学生が混乱するのも無理がありません。
日本語は英語と違って語種がひらがな、カタカナに加えて漢字が膨大にあります。
ひらがなとカタカナだけでそれぞれ五十音あるのにその上書体も多様であればひらがなが60音あるような錯覚を覚える学習者もいてもおかしくありません。
にも関わらず、なぜ日本語の教科書では未だに教科書体が使われているのでしょうか。
それを考える前にまずは代表的な書体を整理しておきましょう。
「明朝体」
筆で書いたようなハライ、ハネがあるのが明朝体で線の端々には欧米フォントのようなウロコもあるのが特徴です。ワードやスライドでは(〜明朝)と言う表記になっています。
活字書体として使われてきた歴史があり、今は書籍や行政から発行される文書では明朝体が使われています。
「ゴシック体」
Webサイトやスライドによく用いられているのがゴシック体です。線が均一で太めにデザインされているので目立たせる意味合いが含まれる際に使用されることが多い書体です。道路標識など目立たせるべき箇所にも使用されています。
「教科書体」
楷書体とも言われ、最も筆字に近く書道でお手本として使用されている書体です。一定の線幅で、線の端やトメやハライが見やすくなるように設計されているのが特徴で、書き方を学ぶことに特化した学習用フォントだとされています。
出典「教えるためのフォントの知識」
本書の定義にもある通り、教科書体は書くための書体で「書きやすい」と言う点においては1番適しているようです。学習者の母語にもよると思いますが、ゴシック体や明朝体を鉛筆で再現しろと言われると厳しいものがあります。
では「教科書体は見やすい」「字を覚えやすい」という意見もありましたが、読みやすさの点ではどうなのでしょうか。
1993年に興味深い実験が行われています。
目が見えにく状態でも読みやすいフォントはどれか?」と言う実験が行われました。
標準的な書体である明朝体、ゴシック体、教科書体の3つのフォントを用意し、常用漢字の中から画数の異なるものをいくつか選び、ぼやけた状態で被験者に「どの漢字が表示されているか」を答える課題を行ってもらいました。
その結果、ぼやけに強いのはゴシック体で教科書体は1番鮮明でないと認識できない(つまり、読みにくい)と言う結果が得られたのです。
小田・江坂・中野(1993)フォントの見やすさ〜視力低下がある場合、標準的な3つの書体はどれが1番読みやすいか? p50^53
ゴシック体が見やすいと言うのは線が太いので誰でもわかりそうなものですが、正式な実験結果でも見やすさは証明されています。
スーパーのパッケージやお店の看板、道路標識など見やすくする必要がある場所でゴシック体が採用されており、明朝体は新聞や書籍など長文に用いられています。
教科書体がほとんど使われていないのにはきちんとした理由があったのです。
では最初の問い「なぜ教科書では教科書体を使っているのか」という問いに戻るのですが、現在多くの日本語教育現場で使われている教科書が手書きがメインの時代にできたからだと考えられます。
未だに多くの現場で採用されている日本語の教科書「みんなの日本語」の前身「新日本語の基礎」が発行されたのは90年ですから、まだwebもない時代でした。
要するに手書きが主な時代に作られた教科書の風習を理由なく引きずってるだけなのです。
しかし、現在では手書きの文章を書くことは稀です。
スマホやパソコンで文字は入力できるし、能力試験やEJUでさえマークシート形式で、採用面接におくる履歴書でさえ手書きは無くなってきています。
そんな中、マイノリティ化した特異な教科書体をわざわざ留学生に教える必要があるのでしょうか。
学校という場所が学生が社会に出ていくための手助けをする場所であるはずなのに学習者を混乱させ困らせるようなことをこれ以上続ける意味はあるのでしょうか。
円安、人口減により経済の停滞が続く昨今、日本語教育を取り巻く状況はとても厳しくなってきています。
学習者のニーズと向き合い、時代にあった教育を施さなければますます学習者から見放されていくでしょう。