苛烈な戦国時代を息抜き、天下に名を馳せた男の生涯について取り上げた記事の最終章です。
読後 『 楽毅 』 宮城谷昌光 〜キングダムでおなじみ諸葛亮が憧れた男の名言集 (上)〜
http://hayato55.com/article/188017533.html
読後 『 楽毅 』 宮城谷昌光 〜天に味方される男の条件 (中)〜
http://hayato55.com/article/188062692.html
「きわどいところでした。天の手が、将軍を得ようとした主父の手をはらいのけたのです」p61
主父とは趙の武霊王のことでこの時はすでに息子に実権を譲り、院生を敷いている立場でそう呼ばれていました。
武霊王は太子の気性が激しく軽率な行動が目立つ太子を危ぶみ、人格的に優れていた穏健派の次男を後継に指名しました。
次男は恵文王として即位したのですが、これが大きな乱の元でした。
穏健派の恵文王は他国を侵略するための軍備拡張路線を変更し、内政を重視したのですがそれが中華に覇を唱えんとする武霊王には不満でした。
代わりに前太子(恵文王の即位後は安陽君)の攻撃的な性格をむしろ頼もしく思うようになりました。
まだしっかり実権を握っていた主父は安陽君がずっと即位の機会をうかがっていたのを利用し、恵文王の王宮の警備が薄くなったところを襲わせる計画を企てます。
安陽君はこの誘いに乗り、王を暗殺するための手筈を整えますが、事前に恵文王の部下の知るところとなり失敗に終わり、安陽君は討ち取られます。
恵文王からすると自分を暗殺しようと企てた黒幕は主父ですが、主父は政権の実権を握っているので、逃すと必ず自分も部下も家族も誅殺されます。
そこで主父の屋敷を包囲する決断をするのです。
水も食料も絶たれた主父は最後は部下からも見放され餓死してしまうのです。
実は楽毅は趙の将軍たちからも高い評価を受けていたので武霊王に推挙され、士官する話が来ていました。
しかし、祖国である中山を滅ぼした趙にすぐ仕えては守るために死んでいったもの達に申し訳が立たないという気持ちがあったため渋っていた矢先に武霊王が亡くなったのです。
楽毅がもし俸給目当てにすぐに士官していたら、楽毅の命も危なかったでしょう。
現在、コロナ禍で働き口がなく、失業したりで先行き不安な人はたくさんいるでしょう。
それでも焦らずに毎日自分のスキルや能力を磨き、市場価値を高めていきましょう。
現在は春秋戦国時代とちがってSNSがありますから、研鑽の成果を発信すれば必ずあなたを発見してくれるはずです。
「孟嘗君をみればわかることであるが、偉業をなそうとする者のもとにはかならず英才が集まる」p161
孟嘗君とは斉の国の宰相で突出した軍略と政の際で国政治を一手に取り仕切り、各国の王や要人からも一目置かれる存在でした。
自国は愚か各国の軍をも動かせる器量と影響力を持っているにもかかわらずみだりに兵を動かさず、しかし動かせば必ず勝つ戦の天才でもありました。
武霊王は確かにカリスマ性も決断力もあり、Giverで様々な国に恩を売り利で動かしましたが、背景には必ず自身の野望がありました。
天下国家のためというより自分のためのGiveであり、徳を積むという一番大事なことを忘れたまま権勢を振るいました。
利害だけの繋がりであったため尊敬されず、最後に死ぬときは部下からも見放されて餓死という王族としてはあり得ないほどの不幸な結末を迎えたのです。
志高く、自己の能力と時間を世の中のために使って徳を積んでいる人の周りには必ず傑物が集まります。
楽毅も斉に留学したときに最初に孟嘗君と会っていたのですが、その人となりに感動し、その時の衝撃が楽毅の生き方に大いに影響を与えました。
やがてこの天下の英傑の二人が時を経て再会することになります。
中山滅亡後、楽毅は魏の国に身を寄せていたのですが、この時魏に傍若無人な斉王と剃りが合わなくなり国を追放された孟嘗君が魏に亡命してきたのです。
再会した時、楽毅は孟嘗君から恐るべき陰謀を聞かされます。
西の大国である秦と東の大国である斉が手を組んで天下を制覇しようというものです。
春秋戦国時代というのはある国が隣国に攻めてもその周辺国が攻められた国に援軍を送るなどして決して一つの国が滅ばないよう絶妙な力関係が保たれていました。
そこで秦が斉に持ちかけた戦略は例えば秦がA国を攻める時、斉はA国が周辺国に助けを求めないように周辺国に攻める、逆に斉がC国を攻める時に秦もC国の隣国を攻めて援軍を出さないようにする、それを繰り返していき秦と斉で天下を二分しようという大胆なものです。
この時秦と斉の力は中華でも突出していたため十分現実味のある話でした。
秦の上層部は愚鈍で横暴な斉なら当然この戦略を受け入れるだろうし、領土を拡張しても人心は離れるし、治められないから簡単に攻め取れるだろうという企てでした。
斉が富み、影響力が増した要因は孟嘗君がいたことが大きいのですが、孟嘗君はみだりに侵略するのに反対したため斉王と衝突して国を追われたというわけです。
大国の陰謀を阻止する、そんな大望を持つ二人が再会することで強大な一つのうねりを形成していきます。
魏で孟嘗君と楽毅が組めば最高の組み合わせだったのですが、楽毅は魏の正式な臣下ではないため何の権限もないためそれも叶いませんでした。
歴史を動かすための最後のピースがまだ欠けたままだったのですが、思わぬ光が他国から差し込むことになります。
さて、「人は自分を写す鏡」とはよく言ったものでダメな人の周りには必ずダメな人が集まりますし、優秀な人の周りには必ず優秀な人が集まっています。
あなたがもし「俺の周りはバカばかりだな」と思うのならそれはあなたがそうだからかもしれません。
そうじゃないと思うのならその環境からはそっと距離をおいた方がいいでしょう。
能力を磨き人のために生かしていれば孟嘗君のように必ず人が寄ってきて情報とチャンスを集めることができるでしょう。
「天によって道が開かれるまで、王は積徳勤行をおつづけになるべきです」p129
この王とは燕の国の王で善政を敷いて人材を求め国を富ませる努力をしている名君の誉高い王です。
しかし、燕は北方にある弱小国で隣国の大国斉から長年虐げられていました。
斉の戦に物資や人を駆り出されて必ず犠牲が出る死地に赴かされてその上褒賞は何もない、あるときは燕の後継争いの内戦のどさくさに紛れて侵略してくるなどやりたい放題でした。
燕王はいつか斉に目にモノ見せてやりたいと臥薪嘗胆の思いで日々を過ごしていました。
そんなある日、楽毅は客将でありながら魏の使者として燕を訪れたのです。
楽毅は一度中山が滅ぶ寸前の時に援助を求める使者となり、燕に赴いたことがあるのですが、燕王は趙との関係を重視し援軍を断っていました。
しかし、使者としての楽毅の堂々たる態度と祖国を滅亡の危機から救い出そうと死力を尽くして奔走する楽毅の姿に心を打たれ、楽毅が昔陽で籠城戦をしている時も密かに兵糧などの救援物資を送っていたのです。
燕王は是非とも楽毅を召し抱えたいと申し出ます。
楽毅も過去の燕王の対応と人柄に感謝し、惹かれていたので、燕王の申し出を受けることにします。
ここにきて楽毅はようやく中華に飛び立つ翼を手に入れることができ、このことが燕という国の運命だけでなく中華全土の行く末を大きく変えることになります。
楽毅と孟嘗君の大国の陰謀を阻止しようとする計画と燕王の斉への昔年の恨みを晴らそうとする3つの思惑が1つの大きな奔流を産むことになるからです。
最近は「人脈が大事だ」という言葉が盲信され、起業セミナーやSNSで無闇に人に会って名刺交換をする人もいます。
しかし、志高く自分のスキルを磨いて毎日の積み重ねを大事にしていれば楽毅と孟嘗君、燕王のようにベストなタイミングでいい出会いがあるものなのです。
「雲のうえに頂をもつ高山に登ろうとするのに、その三相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏みださねば、山頂は見えてこない」p177
楽毅は秦と斉による脅威を中華から取り除くために燕王に合従軍を提案します。
このままでは秦と斉以外の国は攻め滅ぼされてしまいますが、燕だけでは到底この2国に太刀打ちできません。
大国に中華が蹂躙される前に小国同士で手を組み逆に斉に攻め込もうという大胆不敵な作戦です。
楽毅の合従軍の構想には燕、趙、魏、韓、楚の五カ国が含まれていましたが、合従軍結成には様々な問題が山積していました。
合従軍結成には以下の問題があります。
・秦と国境を接している韓と趙と楚が攻め込まれるリスクを冒してまで大軍を率いて合従群に参加するとは考えにくく、韓は斉と国境を接してないので勝ったところで領土を奪っても意味がないので合従軍に参加するとは到底思えません。
韓が動かなければ同盟関係にある魏も動かないしもし魏が動かなければ趙と魏は同盟関係ではないため趙は出兵した隙に魏に攻め込まれることを恐れて出兵しないと考えられます。
楚と燕の国力では到底斉を攻めることなどできません。
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そもそも弱国で影響力のない燕が合従軍を提案する万が一合従軍が結成されたとしても他の国に分け前を平等にもらえるのか保証もありません。
しかし、楽毅は驚くべき発想と気が遠くなるような作業をこなして合従軍を結成し、しかもその盟主の座についた後に斉を攻め2つの城を残して全ての城を陥落させるという中華史上類のない奇跡的な戦果をあげます。
ここからはクライマックスなので詳しくは本書を読んで欲しいのですが、奇抜な発想からなされる偉業の裏にはとてつもなく地道で膨大な努力が必要なんだなと痛感させられるものです。
「楽毅 4」
<所感>
楽毅はどんな局面でも手を抜かず全力で立ち向かい能力を発揮し、絶望的な状況でも活路を見出そうと努力し続け打開してきました。
戦国時代では才能や能力だけでは生き残るのは困難で運に味方される必要があったのですが、楽毅はその過程で良質なスキルと経験値が身につき、それによっていい部下、いい王と出会うことができました。
結果小国の将軍でありながら合従軍結成という中華の歴史に残る大業をなすことができたのです。
春秋戦国時代に限らずこれらの要素は現代においても十分通用する内容のはずです。
僕は歴史小説が好きなのですが、宮城谷さんの作品からは人生を学べるという点で本当におすすめです。
楽毅もよく歴史を学び、先人の成功例や失敗例に倣って実生活に生かしていたようですので皆さんもぜひ試しに読んで見てはいかがでしょうか。
「楽毅 1」