読後 『 楽毅 』 宮城谷昌光  〜キングダムでおなじみ諸葛亮が憧れた男の名言集 (上)〜|日本語3.0

インフォメーション

読後 『 楽毅 』 宮城谷昌光  〜キングダムでおなじみ諸葛亮が憧れた男の名言集 (上)〜


僕は歴史小説が好きで今でも読んでいます。

中でも学生時代、将来が不安な時に司馬遼太郎、吉川英治の作品などは僕の人生を変えてくれたものがたくさんあります。

読んで戦国武将や幕末の志士からマインドを学び、人生を生き抜く糧にしており未だに「龍馬がゆく」「坂の上の雲」などは読み返しています。

現代でも人生に悩む人は数多くいると思いますが、幕末や戦国時代における困難に比べれば比較になりません。

何せ常に死の危険に晒されているわけですから、そんな中生き残った人たちの生き方から学ぶものは多いはずです。

今回紹介するのは宮城谷昌光さんの「楽毅」という作品です。

「楽毅 1」


中国は始皇帝に中国を統一する前に春秋戦国時代という500年続く歴史があったのですが、その間にも数多くの英雄が生まれています。

宮城谷氏は主にそんな春秋戦国時代の英雄たちを取り上げた作品を多く買いていますが、楽毅もその中の一人です。

あの諸葛亮孔明をして「かくありたい」と思わせたほどの傑物で、ベストセラー漫画「キングダム」を読んだことがある人であれば何度か出てきている伝説の名将です。

中山国という小国の宰相の子供として生まれ、国王に疎まれた上に国を滅ぼされ絶望の淵に立たされます。

しかし、楽毅は文武に優れ天才的な用兵術を駆使して逆境を切り抜けます。

人格者として人を惹きつける力を持っていた彼は外交面でもその力を発揮し、中華はじまって以来の史上最大規模の合従軍を結成し、超大国であった斉の国を滅亡寸前まで追い込みます。

2E7BBCB5-3C32-4288-8F9D-8F7C3744076E.png

DAFC97B5-344B-45E1-B86F-D9091A1DF052.png

戦国時代においても才能、実力ある人は多くいますが多くが非業の死を遂げています。

裏切りや陰謀がうずめく戦国時代においては楽毅のように天に愛された者のみ本懐を遂げるのです。

この本の主題はそんな天命を受けることができるものの条件です。今回は本書から名言を抜き出し、その条件について述べたいと思います。

「兵法とは戦いの原則にすぎない。が、実戦はその原則の下にあるのではなく、上において展開される。つまり、かつてあった戦いはこれからの戦いと同一のものはなく、兵を率いるものは、戦場において勝利を創造しなければならない」
楽毅は20代のころ斉の国に留学しましたが、そこで出会ったのが兵学書「孫子の兵法」で楽毅の生涯の愛読書となるものです。

そこはかの有名な「孫子の兵法」を記した孫子こと孫武が活躍した国で孫武の改革のおかげで強国になりました。


と言っても「孫子の兵法」は細かなケースは書かれておらず、戦いの原理原則が記されています。

原則はあくまで原則で行動し、実戦に移していくことで机上とのギャップが生じます。ビジネスでも法則に縛られすぎると負けていってしまいます。

原理原則を学ぶことはもちろん大事ですが、それだけではもちろん足りず実行して臨機応変に工夫していくことで道が開ていくのです。

「父である君主を殺して即位した太子が明君になったという事例はひとつもない」

楽毅が生まれた中山国の王は秦、趙、魏、斉などと比べて国力も人材も資源も乏しい小国です。

しかも君主が暗君そのもので礼を欠いた振る舞いを続け、他国から顰蹙をかい中華で孤立していました。

愚鈍な人間は優秀な人を嫌うものですが、この中山国の自称王もご多分に漏れず英邁な太子や補佐役の楽毅を邪険に扱っていました。

時に自分と太子に暗殺の刺客を向けられることすらありました。

そんな国内不安定の中、強国趙が軍を整えいよいよ中山を滅ぼすために攻めてきました。


楽毅は趙とも中山とも国境を接している斉と同盟を結ぶと大変助けになると考え同盟の道を画作しますが、絶望的な状況になる中でも中山国の王は斉に頭を下げることを拒みます。

斉と同盟を結び中山を救うには今の王が障害になってしまうのです。

どの国からの助けもなければ中山国の民が殺され国が滅亡してしまう、そう思い悩んだ楽毅は最後の手段である王の暗殺という手段が脳裏によぎります。

しかし、短期的な利益は名君は見ているものでそういう人からは見放されてしまいます。

現に君主を殺して栄えた例は中国の歴史の中でもひとつもありません。

歴史に学ぶことを重視する楽毅はそう考えを改め暗殺を踏みとどまり、最善を尽くすことにします。

この決断がのちに大きな幸運を呼び寄せることになります。

「もしも自分が非命に斃れるようなことになれば、おのれへの目配りを怠ったためであり、おのれの中で道が行われなくなったせいである」

ついに強敵趙が攻めてきます。中山が孤立しているのを見計らってのことで、楽毅は祖国滅亡を防ぐために戦場に赴きますが、例によって中山国の王の嫌がらせにより一番守りにくく死地に近い城を任されます。


相手は数万に対し、こちらはせいぜい2〜3千の兵で小城の守備に命ぜられます。はっきり言って勝てるとか勝てないとかいう次元ですらない死地に追いやられます。

それでも楽毅は中山国を守るために懸命に策を練り、それに従って城の強化を図ります。

何度も城を見回る中で健気に篭城の準備をする兵士たちを見てこの兵たちとその家族を死なせたくないという思いを強めていきます。

自軍では勝てる見込みはないため、少しでも戦闘を長引かせ、どこかの国から援軍が来るか趙に他国が侵略し趙軍が撤退せざるを得なくなるのを期待するという戦いになります。

そんな中自分の判断だけで対処しなければなりませんし、もしかしたら、大軍に恐れをなし、城門を開けてしまう兵がいるかもしれません。

もしそうなってもその兵を恨まず、自分が部下に安心感を与えてやれなかった、自己研鑽が足りなかったせいだと受け止め、死地に配属されたことを恨まずできることを地に足つけてできることを一生懸命やるしかありません。

自分を生かすも殺すも天の意思次第。自分に起きることは全て自己責任。

そう腹を括って勝負の時は日頃から天命に背かない行いが危機の時に他者からの助けを得ることができるのです。

「優勢にある者がおのれの優勢さを誇り、劣勢にあるものを怒らせて、いい結果が得られたためしはない」
楽毅は用兵術だけではなく築城の才能もずば抜けており、趙軍が嫌がる位置に砦を作り、時に相手を罠にはめ時に打って出て奇襲をかけ、少数ながら大軍の趙軍を散々に悩ませます。

ある日は落とし穴を掘って敵と戦車を罠に嵌めた時のことです。

趙軍の兵士が急ごしらえの橋を作って穴を渡ろうと進言されましたが、趙の将軍はその選択をせず穴を一つ一つ埋めて先に進もうと決断し、穴を埋める作業を始めました。

それを見て中山国のある兵士が「要領が悪い」と相手を嘲笑しました。

実は楽毅は穴に通じる道を作って外に出て趙軍を奇襲しようと考えていており、趙軍の判断は正しかったのです。

優勢、劣勢は時の運で刻々と変わります。

今日優勢だったのが明日になると劣勢になっているかもしれないにもかかわらず、優勢の時に相手を貶めるようなことをしているといざ劣勢になった時に思わぬ復讐が待ち受けているかもしれません。

優勢の時こそ奢らず、兜の緒を締めるという姿勢を続けることで自分が劣勢に陥った時に思わぬ天宥を得られるのです。


「疑いながらことを始めれば成功せず、疑いながらことを行えば名誉を得られない」

中国を最初に統一したのは始皇帝ですが、実はこの時代にも中華統一を目論んだ王がいました。

趙の武霊王でこの言葉は武霊王に腹心の部下がした助言です。


この時代、最も勢力を誇っていた国は何と言っても趙で武霊王になってから飛ぶ鳥を落とす勢いを誇っていました。

なぜ短期間に強大な軍事力を誇ったかといえば中国で初めて本格的な騎馬部隊を組織し、胡服と呼ばれる北方民族の衣装を着せたのです。

当時騎馬部隊に胡服といえば中華の人間が忌み嫌っていた北方の騎馬民族そのもので、断行すれば他の国から顰蹙を買い、全てを敵に回すのは明白でした。

しかし、武霊王はそんな批判を「便利だから」という理由で断行し、以後戦闘を優位に進めて中華に覇を唱えることになりました。

武霊王の決断を非難していた人たちも慌ててこの胡服と騎馬隊を取り入れる国も増え、その後胡服は6世紀ごろには動きやすく便利だということから旅装束にまでなり一般化しました。

一方、過去の成功体験や古い根拠のない風習に囚われていた国は劣勢に立たされ、衰退の一途を辿りました。

何か新しいことをするときは世間から非難されたりするのはこの時代から変わらないようですが、論理的に正しいものは倫理的にも正しくなります。


合理的な根拠のない風習に囚われずに実行すれば必ず後からついてきてくれる人はいるはずです。

逆に非効率なことをなんとなくの風習だからと言って続ける国や会社組織は衰退に繋がります。

伝統や文化を継承していくことと非効率なことを続けるのを混同しないようにしましょう。

「楽毅」

2020.10.12 | コメント(0)
コメントを書く

お名前

メールアドレス(非公開)

ウェブサイトアドレス

コメント

この記事へのコメント
テキストや画像等すべての転載転用販売を固く禁じます
Copyright © 日本語3.0 All Rights Reserved.