読後 『学校と社会』 ジョン・デューイ @ 〜学校とは「小社会」であるべきだ〜|日本語3.0

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読後 『学校と社会』 ジョン・デューイ @ 〜学校とは「小社会」であるべきだ〜


先日不登校Youtuberが話題になり賛美を巻き起こしましたが、
そもそも学校とはどうあるべきなのでしょうか。


その答えを100年前に出していたのが教育学者
ジョン・デューイ(1859~1952)です。

彼がその著作「学校と社会」のなかで
学校とは本来どうあるべきかを明確に述べています。

<ジョン・デューイ「学校と社会」>


デューイはシカゴ大学で教鞭をとっていた際に
「人間の精神の発達について研究する実験室があってもいいはずだ」
と提案し独自のシステムとカリキュラムと共に学校を設立しました。


その学校での成果を表した著作が「学校と社会」でその中でデューイは

「学校とは子供達が自発的な社会生活を営む「小社会」でなければならない」

と主張しています。

どういうことかとデューイの真意を探る前に彼が
現代教育(ここでいう現代教育とは大教室で教師が壇上で
講義する教育のことを指す)の問題点として挙げている点を
見ていきましょう。

<デューイがあげる現代教育の問題点>

@社会的精神がとりわけ欠けている諸条件の中で、
 社会的秩序の未来の成員を準備することにつとめている。

A伝統的な学校教室には子どもが作業する場所がほとんどない。

B教科を分けている。

これらの問題点を順に詳しく見ていきます。

<ホスファチジルセリン>
シナプスが繋がりやすくなり、ひらめきや思考力、学習効果の高まりが体感できました。



@社会的精神がとりわけ欠けている諸条件の中で、
 社会的秩序の未来の成員を準備することにつとめている。


デューイは学校と社会の差異が大きすぎ現在の学校では
社会で役立つ知識や技能が身につかないと述べています。

デューイによる社会の定義はこちらです。

「社会とは共通の線に沿い、共通の精神において、また共通の目的に
関連して働きつつあるが故に結合されている一定数の人々ということである」

我々は同じ国や地域、地球に住み文明を進めたり、
社会をより良くするためという共通目的のために
生産、創造活動を行なっています。


ところが学校ではテストや宿題、課題などで友人と共同して
何かを成し遂げることは原則禁止で、個人の欠点や長所を
補い合って成し遂げるような共通の生産活動がありません。


補い合うことができないというのは非効率で個人にとっても
社会にとっても機会損失だと言えるでしょう。


また同年代の子どもとしか接触がなく社会を経験した大人と
触れ合う機会がありません。


これらの点がデューイがのべる社会と学校の乖離です。


A伝統的な学校教室には子どもが作業する場所がほとんどない。

近代教育は机と椅子を並べて子供たちをすわらせ
教師が話したことをただ暗記し、
模倣する受動的な教育にとどまっています。


子供の個性を軽視し、画一化されたカリキュラムによって
機械的に集団化させていることをデューイは指摘しています。


本来なら暗記したことをどう活かし、
新たなものを創造するのかが大切であるにも関わらず
そのための作業場、実験場、ツールがほとんどありません。


これでは子供たちが自ら思考して行動し、
能動的に動くことができなくなってしまいます。


B教科が別れている。

デューイは本書で以下のように述べています。


「一切の学科はこの共通の一大世界の中における諸処の関係から
 生ずるものである。子供がこの共通の世界に対する多様な、しかし
 具体的で能動的な関連の中で生活するならば、彼の学習する学科は
 自然に統合されるであろう。そうなれば諸学科の相関というような
 ことは、問題ではなくなるであろう」



忘れがちですが、教科というものは自然現象の中からそれぞれ一部を
切り取って概念化したものです。


例えば「日本史」「世界史」と分けられていましたが、
日本史を学んでいると近代に入るにつれ、
世界からの影響が色濃くなってきます。


幕末史を例に挙げて考えてみましょう。

幕末はそもそもなぜアメリカやイギリス、フランスが日本に圧力を
かけてくるようになったのか世界史の勢力争いの図を理解して
いなければ答えが出てきません。

それぞれ領土問題や資源争奪戦も絡んでいますから、
当然地理の知識も必要ですし、それぞれの国が発展した理由は
政治システムも関連していたでしょうから政治制度の知識も
必要になるかもしれません。


さらに幕末期には外国から高額なものが入ってきて
インフレ現象が起きていました。

そのため庶民が通商条約を結んだ幕府に不満を持つようになり、
攘夷運動に同調する動きがさらに広がっていき、
討幕派が勢いづいた要因になっていきます。

こういった経済事情も理解していなければ
時代が動いた背景を正しく理解することはできません。

このように日本史、世界史、地理、経済・通貨史は互いに密接に
関わっており本来切り離せないものです。


また江戸時代の貨幣は小判、米と特産品がそれぞれ代用されていたのですが、
これは仮想通貨などが今後通貨として台頭するようになるにあたり、
大変参考になるシステムだと言われています。


このように歴史という大きな枠で学ぶことで理解でき、
さらに現代にもアップデートできそうな事例が多くあるのですが、
「日本史」「世界史」「地理」などと無理矢理分けることによって
全体像がわからなくなってしまうのです。

結果、年号と出来事をただ暗記するだけの教科になってしまいます。

<SNSで外国語をマスターする>
もう先生も学校もいらない!?



<正しい学校のあり方とは?>

これら4つの問題点を踏まえた上で解決策としてデューイは冒頭で挙げた

「学校を社会のような共同体にしなければならない」

ということを述べているのです。


なぜなら、子どもはいずれ社会で自立し活躍しなければならず、
そのためには学校をできるだけ社会に近い環境に
近づけなければならないのです。


デューイがシカゴ大学で設立した学校は以下のような形です。

デューイ.001.jpeg

教室で座学という概念がなくフィールドワークが主な形で、
それでいて社会との距離が極めて近く
子供たちが能動的に学び活動できる空間になっています。


例えば校庭で野菜や果物を飼育しどのような環境で
どのような状況で何を与えればいい野菜が育つかを
図書館で調べ必要に応じて実験することも可能です。


新たな発見があれば大学で論文として発表できますし、
産業界で応用できるものも出てくるかもしれません。


また、学校で習得した知識を家庭での料理などでも使え、
体験の中で困ったことが起きれば学校ですぐに調査し、
実験して真偽を確かめることができます。


このように協働できる環境が整えたことにより子どもたちは
互いに長所や欠点を生かし、時に補い合うことができ
能動的に学んでいく様子が観察できたとのことです。


また学んだ知識や技能がすぐに活かせる環境にあれば
学習するモチベーションを持続できます。


人間の好奇心は無限で一つの分野について調べているうちに
自然や社会が教科などで別れていないことに気づき、
他の分野に裾野を広げて学んでいくことができます。


興味のとっかかりさえ与えれば人間はどこまででも
学んでいく生き物であり、逆に教科ごとに区切ると
学びを制限してしまいます。


教師や学校にできることはその学生がどのような分野に
興味があるのかを発見し、学習環境を整えることにあるのです。


まさに社会こそ先生で
これができれば教師の役割は8割がた終えたも同然です。


思えばデューイの学校はシリコンバレーや吉田松陰の松下村塾にも
似ています。


多大な成果を残し大人たちは学校は小社会であるべきだ
ということを理解したのでしょう


ここまでデューイの「学校と社会」について要約しました。


次回は現在の教育にどう活かしていくかについて所見を述べようと思います。

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2019.05.17 | コメント(0)
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