今日は『銃・病原菌・鉄』 の書評の続編。
前回は人類が食料生産をはじめたのがいつなのか、どのように伝播していったのかまとめました。
前回記事
読後 『銃・病原菌・鉄』 ジャレド・ダイヤモンド @
〜なぜ近代以降世界に覇を唱えたのが欧米なのか〜
http://hayato55.com/article/184424860.html?1538808859
読後 『銃・病原菌・鉄』 ジャレド・ダイヤモンド A
〜人類は食料生産をいつどこで始めたのか〜
http://hayato55.com/article/184597214.html?1542009749
今回は前回の問いの続きである
「なぜメソポタミアで食料生産が始まったのか。なぜ環境に恵まれているにもかかわらず食糧生産が始まらなかった地帯が存在するのか」
という議題についてまとめました。
<なぜメソポタミアで最初に農耕が始まったのか>
不思議なことに農耕に適している地形や環境であるにも関わらず、近年になるまで農耕が行われていなかった地域が存在するのである。
カリフォルニア、アルゼンチン、南アフリカのケープ、オーストラリア南西部、などがこれに該当する。
しかもこれらの地域は農耕技術が伝播されると比較的早く農耕生活に移行し、現在では有数の農業生産地になっている。
環境が適しているのに農耕が自発的に始まらなかったのはなぜだろうか。
その謎を解くためにまず、メソポタミアが農耕を始めるのに有利になった条件を見ていく。
第一にやはり環境が挙げられる。
この地は地中海機構に区分され、穏やかな寒気と長くて雨量に恵まれた温暖な気候が特徴である。
このような特徴を持つメソポタミアの三日月地帯は穀物や豆類の栽培に役立つ。
第二に栽培可能な植物の種類がこの地に豊富にあったからである。
まず、地球上の20万種以上ほどある植物のうち食用化できるものが数千種であり、栽培化までできるものはさらに数百種である。
地球上で一年間に消費されている農作物のうち80%は小麦、トウモロコシ、米などの穀物や大豆などの豆類、サトウキビやバナナなどの果物などわずか数十種類で占められている。
このような希少な栽培化できる植物が肥沃三日月地帯に元から存在していたのである。
具体的には地理学者のマーク・ブルーマーが「大自然の与えた最優良種中の最優良種」として作物化に適した種類を56種類選出しているが、そのうちの32種類がメソポタミアの肥沃三日月地帯に自生していたのである。
メソポタミアで農耕が始まった要因の三番目が地形である。
肥沃三日月地域は起伏に富んでおり、死海のように地球上で最も海抜の低い場所からテヘランの5400mの高地まで様々である。
そのおかげで様々な植物が自生可能であり、さらに低地と高地で時期のずれた収穫も可能である。
最初に農耕を始めた民族は様々な地で農耕の実験ができ、いつ降るかわからない雨に頼ることなく低地の湿地で種をまくことができ、時期にかかわらず年中多くの穀物を収穫できたと考えられる。
ニューギニアはメソポタミアよりも遅いとはいえ、独自に食料生産を始めた地域のうちの一つである。
4万年前から人類が移り住んでいると言われ、地域の植物について調べて農耕を開始するには十分な時間があったとみていいだろう。
しかし、栽培種と地形の面で恵まれておらず、大規模なシステム化された農耕を築くには至っていない。
すなわちこの地には栽培に適した植物が少ない上、地形も高地が多く農耕を試す実験場が多くなかった。
結果、深刻なたんぱく質不足に陥っていたと考えられる。
この地にサツマイモが伝わるとすぐに普及し、人口も増えたという記録がある。
アメリカ合衆国東部も独自栽培が始まったものの、同じく地形と植物種に恵まれず大規模な農耕システム構築と人口増加には至っていない。
<所見>
これまで見てきたようにメソポタミアでは地形と気候を含めた環境と栽培化に適した種類に恵まれていたため最初に農耕が始まった。
他の地域ではこのどちらかの条件が不足しており、食糧生産が遅れたり、ついに行われなかったことが確認された。
次回は人類の発展に大きく寄与したもう一つの要因である家畜化について検証を試みる。
『銃・病原菌・鉄』 ジャレド・ダイヤモンド
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