読後 『銃・病原菌・鉄』 ジャレド・ダイヤモンド A 〜人類は食料生産をいつどこで始めたのか〜|日本語3.0

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読後 『銃・病原菌・鉄』 ジャレド・ダイヤモンド A 〜人類は食料生産をいつどこで始めたのか〜


今日は書評、前回の『銃・病原菌・鉄』の続きです。

『銃・病原菌・鉄』 ジャレド・ダイヤモンド


前回記事
読後 『銃・病原菌・鉄』 ジャレド・ダイヤモンド @ 〜なぜ近代以降世界に覇を唱えたのが欧米なのか〜
http://hayato55.com/article/184424860.html?1538808859


<内容の要約>

氷河期が終わった1万1000年前の時点では世界の各大陸に
分散していた人類は皆狩猟民族であった。

しかし、その後狩猟民族と農耕民族に枝分かれし、
農耕民族が食料の大量生産に成功し、人口が増加、職業も専門化していった。

一方で狩猟生活を続けた民族は発展した農耕民族に滅ぼされる例もあった。


ではなぜ農耕を始めた地域とそうでない地域があったのか、その地域差は何なのか。


不思議なことに農耕に適している地形や環境であるにも関わらず、
近年になるまで農耕が行われていなかった地域が存在するのである。


アルゼンチン、南アフリカのケープ、オーストラリア南西部などが
これに該当する。

しかもこれらの地域は現在では有数の農業生産地になっている。

人類はなぜ農業に必ずしも適さない地域で農耕を始めたのだろうか。


その問いに答える前に今日は人類が食料生産をいつどこで始めたのか、
どのように伝播していったのかについてまとめた。

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<食料生産はいつどこで始まったのか>

どのようにして食料生産が行われていた年代を測定するかというと
遺物に含まれる炭素14の数で特定する。

植物に含まれる炭素14は動植物が死ぬと一定数から減少する。

そのため異物に残存している炭素数を調べ減少した数から年代を割り出せるという。

その結果、農業生産を始めた地域は以下の地域であることがわかっている。

・南西アジア(メソポタミア)
・中国
・南米(アンデス、アマゾン地域)
・アメリカ合衆国東部
・中央アメリカ

最古の例はメソポタミアで紀元前8500年ごろからだとされており、
それ以外の地域は基本的にはこれらの地域から伝播したものか
農耕民族が侵略しその地に住んでいた狩猟民族に取って代わったかのどちらかである。


例えばインダス川流域では南西アジア(メソポタミア)から伝播した
形跡が残っているが、食料生産が伝播したことでその土地の住人と移住者の
人口構成が入れ替わった形跡も見つかっていない。


一方でアメリカ大陸北東原やアルゼンチンでは先住民がヨーロッパからやって来た
移住者によって殺されたり駆逐されており人口構成が入れ替わっている。


狩猟民族の中には農耕民族と接触しながらも農耕生活に切り替えず
ずっと狩猟生活を続けた民族や農耕生活に切り替えたもののそれまでに恐ろしく
長い時間を要しているケースも多々存在する。


それはなぜだろうか。

人類が食料生産をどのように始めたかについて考える上で誤解されがちなことは
食料生産の手段をある日急に発見したり発明したわけではないということである。


最初に食料生産を始めた人類はそれまで食料生産という概念がなかったため、
古今の多くの発明同様、数多くの試行錯誤の段階を経て現在の農耕という手段に
たどり着いたのである。


したがって民族によっては農耕を取り入れながら採集生活も続けたり、
農耕ができる地域と採集ができる地域を移動する生活を続ける民族
アメリカ南西部では冬になると北の高地で農耕生活を送る民族、
夏になると南で採集生活を続ける民族など多種多様であった。


このような試行錯誤を続けるうちに農耕が完成したのであり、
短時間の間に一気に完成し、食物も一気に栽培化されたわけではない。


こうして長い年月をかけて農耕が完成し、周囲に伝播していくことで
周辺民族も生活様式を選択できるようになった。


<農耕をすぐに取り入れた地域と時間がかかった地域があるのはなぜか>

しかし、農耕を発明するのに時間がかかった理由は明らかになったものの
農耕という手段を知りつつもすぐに農耕を取り入れた地域と
時間がかかった地域があるのはなぜだろうか。


理由として考えられるのは環境と気候である。

ヨーロッパ中央部から南西部にかけては農耕が比較的急速に広がっているが、
これは土地や気候に恵まれず採集生活の生産性が低く、
農耕を取り入れるメリットが多かったからだと推察される。

反面、日本では稲作移行まで長い期間を要しているが理由は
海産物に恵まれ採集生活を続けることに支障がなかったからだと考えられる。


しかし、最終的には環境や気候にかかわらず地球の大多数の民族が
狩猟生活から農耕生活へ移行しているが、それはなぜだろうか。

博士はいくつか理由を挙げている。


第一に気候変動や狩猟生活を続けることにより動植物の数(特に動物)
が激減したため、農耕に舵を切らざるを得なかったことである。

ポリネシアからニュージーランドに移動した狩猟民族が
鳥類のモアが絶滅した後に農耕を初めているが、
動物が激減した後に農耕が始まったことを示す事例は多い。


第二の要因としては狩猟の対象となっていた動物が激減した時期と
気候が変化し栽培化可能な植物が増えたことが挙げられる。

特に肥沃三日月地域では短期間に栽培化可能な植物が
増えていることが確認されている。


これによりなぜ紀元前8500年ごろにメソポタミアの肥沃三日月地域で
食料生産が始まった一つの要因にもなり得る。

すなわちそれ以前の紀元前2万8500年ごろから1万8500年ごろには
動物が豊富に生息していたため、農耕生活へ切り替えるインセンティブが
低かったからだと考えられる。


そして、地球上の人類が段階的に農耕へ移行していった最大の要因は
農耕民族と狩猟民族が接触した地域で起きた事例に見ることができる。


つまり、狩猟民族が農耕民族によって駆逐され滅ぼされたのである。


前述したが農耕民族は食料生産従事者が少なく、職業軍人も多くおり
田畑を耕す道具が先鋭化され武器化した。


そのため狩猟民族よりも戦闘において有利であったのは前回記事で触れた。


狩猟民族が近代まで生き延びた地域は農耕民族が侵略しにくい場所が多い。

例えば砂漠で囲まれていたカリフォルニアの狩猟民族や
多くの海に阻まれたオーストラリア大陸の狩猟民族がそれに該当する。


所見

以上、農耕を始めた地域とそうでない地域があったのはなぜなのかという点と
最終的に人類が農耕を選択した理由について本書をもとにまとめた。


ダイヤモンド博士は興味深い点から考察しているが、
やや因果関係にとらわれ過ぎている嫌いがある。


特に農耕を始めた地域と狩猟を続けた地域があった理由については
人間が合理的に判断できる生物であるという前提に立っているが、
必ずしもそうではないだろう。


現在ではICTを導入した方が時間も費用も削減できるにも関わらず、
多くの企業が慣習にとらわれて導入に二の足を踏んでいることを鑑みれば
古い慣習にとらわれた狩猟民族が滅ぶまで農耕というイノベーションに
移行できなかったとしてもなんら不思議はない。


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2018.10.05 | コメント(0)
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