読後 『金閣寺』三島由紀夫 番外編 〜天才と犯罪者は紙一重〜|日本語3.0

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読後 『金閣寺』三島由紀夫 番外編 〜天才と犯罪者は紙一重〜


これまで3回にわたって三島由紀夫の『金閣寺』の書評を書きました。

<三島由紀夫「金閣寺」>


<前回記事>

「読後 『金閣寺』三島由紀夫@ 〜美しくするために金閣を燃やした?」
http://hayato55.com/article/182736320.html?1528442765

「読後 『金閣寺』三島由紀夫A 〜実物の金閣寺が美しくない理由」
http://hayato55.com/article/183369247.html?1534923046

「読後 『金閣寺』三島由紀夫 B 〜美しい人生にするために〜
http://hayato55.com/article/184213680.html


この作品のテーマは主に「美と人生」についてでしたが、
実はもう1つ重要なテーマがあります。


「偉業と悪行、天才と犯罪者」についてです。

主人公は生まれながらにハンディキャップを背負っていましたが、
それによる引け目はなくむしろ独創性だと解釈していたことはすでに述べました。

従って自分は人とは違う何かしら重要な使命を背負っていると考えていました。


その思想が垣間見れるエピソードが次です。


主人公が金閣寺の見習い僧になって下宿したばかりの時、
米兵と娼婦のカップルが金閣を訪れました。


主人公は住職に米兵を英語で案内するように命じられ、
そのカップルに同行し、金閣の境内をガイドすることになりました。


とはいうものの、米兵は泥酔状態でまともに観光できない状態で、
女性と戯れたり、履いてる靴を投げたり、
主人公の説明をずっとふざけた調子で聞いていました。


時折その女性と米兵が口論を始めましたが、次第にそれが激化し、
女性が米兵を平手打ちにしたのに激怒した米兵が女性を倒してしまいました。


主人公が慌てて女性を起こそうとした瞬間、米兵が
「踏んでみろ」
と主人公に命令してきたのです。

米兵は腕力がある上に酔っていて危険な状態だったため
主人公はなすすべなく命令に従います。

女性の腹を何度も踏みつけるのですが、その時の心境が次です。

「私は踏んだ。最初に踏んだときの違和感は二度目には
 ほとばしる喜びに変わっていた。これが女性の腹だ、と私は思った。
 これが胸だ、と思った。他人の肉体がこんなに鞠のように正直な弾力で
 答えることは想像のほかだった」

命令されてやったものの主人公に罪悪感はなくむしろ快感を覚えていたのです。

実は女性は米兵の子を身ごもっており、
主人公のこの行為のせいで流産してしまったことが判明したのです。


女性はのちに金閣を訪れ住職にこのことを訴え、賠償金を請求し、
住職もおとなしくこれに応じます。


ところが住職はそのことで一切主人公を咎めることはなかったのです。

それについて主人公は次のように考えます。

「老師の無言に対抗して、告白をせずに来た私は『悪は可能か』ということを
 1つ試して来たのだと思われる。もし私が最後まで懺悔をしなければ
 ほんの小さな悪でも、悪はすでに可能になったのだ」

「悪は可能になった」とはどういう意味でしょうか。

モーツァルトやナッシュ、ルソー、織田信長やスティーブ・ジョブズなどは
世界に何らかのインパクトを与えた天才と言われている人物ですが、
同時に性格的に難があり、犯罪的な行為も平気でやっていた過去があります。


彼らには世間の常識の理解を超えているため倫理観が備わっていないためです。


それでも彼らが訴えられたり、逮捕されて人生を破滅させることがなかったのは
彼らが「小さな悪」を行うことができる天才の特権を持っていたからです。


ルールや慣習を守るというのはもちろん大切なことであり、
それによって社会の秩序が保たれています。


しかし、従来のルールや慣習を乗り越えなければ
中には既得権益層を守るためにできたルールもあり、
守り続けることで社会にとって不利益になっている場合があるのも事実です。


彼らが成し遂げた偉業はそれは時に法に触れるようなこともあり、
全て従来の価値観や法を乗り越えたものであるため時としてルールを破る必要がある、
そして破る権利がある人は悪が可能なつまり、偉人と呼ばれる人々です。


幕末に吉田松陰が法を破って黒船に乗り込もうとしたことや
志士たちが自由を求めて脱藩という「犯罪」を犯さなければのちの
明治維新はなかったことは自明です。

ルールや法律というものは守り過ぎても害になるのです。


主人公は自分はそのような偉業を成し遂げられる人物か否かをためし、
住職からお咎めを受けなかったことでそう確信したのだと思います。

「『金閣寺を焼けば』と独言した。『その教育的効果は著しいものがあるだろう。
 そのおかげで人は類推による不滅が何の意味も持たないことを学ぶからだ。
 ただ単に持続してきた、550年の間鏡湖池畔にたち続けてきたということが、
 何の保証にもならぬことを学ぶからだ。われわれの生存がその上に乗っかっている
 自明の前提が、明日にも崩れるという不安を学ぶからだ』」

主人公にとっての偉業というのはいうまでもなく金閣寺を燃やすことであり、
それによって究極の美に近づけることと国民に対して新たな道徳的価値、つまり

「金閣も人生も限りがあるのだから、しっかりとそれを自覚して
 一生懸命生きなければ美しい人生にならない」

という訓戒を提示することでした。

金閣寺を燃やすなんてとんでもない犯罪ですが、自分にはそれをやる資格がある、
ということを述べています。


この解釈は考え方によっては非常に危険なものです。

現に「自分は特別だ」そういって行われる殺人もあり、
2016年7月26日に相模原で起きた障害者大量殺人の犯人も似たようなことを言っていました。


したがってどのようなルールを守り、どのようなルールを破るべきか
慎重に考えて行動しなければ周りも自分も破滅に導く恐れがあります。


本当の名作は解釈によっては良薬にも猛毒にもなるので
くれぐれも「限りあるものが大事だ」といって明日から近くのお寺や
神社に火をつけて回るようなことはやめましょうw

それでは!

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2018.09.25 | コメント(0)
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