読後 『金閣寺』三島由紀夫 B 〜美しい人生にするために〜|日本語3.0

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読後 『金閣寺』三島由紀夫 B 〜美しい人生にするために〜


今日は三島由紀夫「金閣寺」最後の書評記事です。

前回記事
「読後 『金閣寺』三島由紀夫@ 〜美しくするために金閣を燃やした?」
http://hayato55.com/article/182736320.html?1528442765

「読後 『金閣寺』三島由紀夫A 〜実物の金閣寺が美しくない理由」
http://hayato55.com/article/183369247.html?1534923046

<三島由紀夫「金閣寺」>


美の正体に気づいた主人公の少年、溝口は今度は人生について考え始めます。

最初に人生について記述があるのは次の場面かと思われます。

柏木と出会った際、柏木がアルプスを描いたきれいな旅行協会のポスターに
「未知の世界へあなたを招く」
とキャッチフレーズが書いてあるのを見て「未知の人生とは我慢がならぬ」
と乱暴に書きなぐっていたのです。

それを見て少年は金閣に向かってこう祈ります。

『私の人生が柏木のようなものだったら、どうかお護り下さい。
 私にはとても耐えきれそうにないから』
と私はほとんど祈った。柏木が暗示し、私の前に即座に演じてみせた人生では、
生きることと破滅することが同じ意味をしか持っていなかった。



また、幼い頃からの友人、鶴川が死んだ時は次のように述懐しています。

彼は私のような独自性、あるいは独自の使命を担っているという意識を、
毫も持たずに生きおおせたことであった。この独自性こそは、生の象徴性を、
つまり彼の人生が他の何ものかであり得るような象徴性を奪い、
従って生の広がりと連帯感を奪い、どこまでもつきまとう孤独を生む
にいたる本源なのである



主人公は吃音というハンディキャップを背負って生まれたものの全く
引け目を感じず、むしろ障害があることで自分が特別な人間であり、
人生において重要な使命を担っているのだと自覚していました。

レールに惹かれた人生ではなく独自の使命を担っており、そんな人間は
生涯孤独であるべきであるというのが主人公の考えです。


柏木の人生観や鶴川の死などは「生=死」であり、溝口にとってそれは
人生が全く意味がないと言うことなので耐えがたいことだったのです。

そんな柏木の人生観は人生に意義を見出したい主人公の信念とは真逆のものでした。


しかし、
溝口が自分で人生に意味を持たせるためにはどうしても邪魔な存在がありました。

それが金閣寺です。

以下は溝口の父が亡くなり、実家の寺を引き払った時の母親との会話です。

「私の帰るべき寺はなくなった!あの荒涼とした岬の村には、私を迎え入れる
 ものがなくなったのだ。
 このとき私の顔に浮かんだ開放感を母はどう釈ったかしらない。
 私の耳もとに口をつけて、こう言った。

『ええか。もうお前の寺はないのやぜ。和尚さんに可愛がってもろうて、
 後継にならなあかん。ええか。
 お母さんはそれだけを楽しみに生きてるのやさかい』

 私は動転して母の顔を見返した。しかし、恐ろしくて正視できなかった」


溝口は金閣寺の住職になるため金閣に修行僧として引き取られたのですが、
彼は人生に独自性を追求していたわけであり、自分の将来が
決められているということは屈辱的だったのです。


従って、金閣は自分の将来を勝手に決めつける邪魔な存在だったのです。

これが金閣寺を燃やすためのもう1つの理由です。


「金閣=みんなが当たり前と思っており永続的に存在するもの」であり
「金閣=安定した人生」ということなのです。

金閣寺が消失すれば「当たり前のことなどは何1つない」と人々は悟り、
自分の人生をもっと大事にするはずだと考えたのです。


しかし、奇妙なことに主人公は金閣寺を燃やす決断をした後
以下のように述べています。

「朝鮮動乱が起きる。決行を急がねばならぬ」という記述があります。

前回、「金閣寺が戦争で亡くなる」という記述があった際、主人公は
心踊り、金閣寺が永遠の美に直づくと喜ぶ記述があったのを覚えているでしょうか。


そう考えると朝鮮戦争が起きて、金閣寺が戦火にまみれ消失する方が
いいのではないだろうかと疑問に思う人もいるでしょう。


実は主人公にはどうしても自分で燃やさなければならない理由があったのです。

次に取り上げる場面は溝口と柏木の議論です。

溝口が金閣寺放火を決意したのち、旧友鶴川の遺書を目にします。

溝口は鶴川は事故死だと知らされていましたが、実は自殺で
遺書は柏木が生前に鶴川から受け取っていたのでした。

柏木は鶴川の死後3年経った後に溝口に見せたのです。

その時の柏木との議論を見てみましょう。

「俺は君に知らせたかったんだ。この世界を変貌させるものは認識だと。
いいかね、他のものは何1つ世界を変えないのだ。認識だけが、
世界を不変のまま、そのままの状態で、変貌させるんだ。
認識の目から見れば世界は永久に不変であり、そうして永久に変貌するんだ。

それが何の役に立つかと君は言うだろう。

だが、この生を耐えるために人間は認識の武器を持ったのだと言おう。
動物にはそんなものはいらない。動物には生を耐えると言う意識なんかないからな。
認識は生の堪えがたさがそのまま人間の武器になったものだが、
それで以って耐えがたさは少しも軽減されない。それだけだ」


どういうことかというと、あなたが職場に勤めていることを
イメージしてみてください。


多くの人は理想を追求しようとせず、自分がやりたくない仕事に対しても
「生きがい」を見つけ、「まあ人生こんなものか」と解釈を変えることで
なんとなくそこに落ち着きます。

やりたくないことでも何とか解釈を変えて生きがいを見つけ
嫌な仕事でも続け毎日の生活に耐える、それが柏木の言う
「認識による世界の変貌」です。

しかし、主人公はそんな柏木の意見に真っ向から反論します。


「生を耐えるのに別の方法があると思わないか」

「ないね。あとは狂気か死だよ」

「世界を変貌させるのは決して認識なんかじゃない」

と思わず私は、告白とすれすれの危険を冒しながら言い返した。

「世界を変貌させるのは行為なんだ。それだけしかない」


つまり、
溝口は現状の解釈を変えるだけではなく何らかの行動を起こすことによって
現状と世界を変えていくべきだと言うのです。


例えるなら
今もし、あなたが会社に勤めているのなら無理やり生きがいを探すのではなく
会社を辞めて独立すると言う具体的な行動を起こすべきだ、
これが主人公のスタンスです。


そのため金閣が空襲に焼かれることを期待してしまっては
それは結局誰かの手によって自分の人生が変えられたのと同じことなのです。


「私は生きるために金閣寺を焼く」

そんなセリフが本書が終わりに近づくにつれ頻繁に出てきます。


つまり自分の人生だから自分で行動を起こし、自分の手で人生を切り開き、
生きていかなければならない、そのための第一歩として自分で金閣寺を燃やそう
と考えたのです。


最後のシーンを抜粋します。金閣寺を燃やした直後の場面です。

ここからは金閣寺の形は見えない。渦巻いている煙と、天に沖している火が
見えるだけである。木の間をおびただしい火の粉が飛び、金閣寺の空は
金砂子を巻いたようである。
 私は膝を組んで長い間それを眺めた。
気がつくと、体のいたるところに火ぶくれや擦り傷があって血が流れていた。
手の指にも、さっき戸を叩いたときの怪我とみえて血が滲んでいた。
私は遁れた獣のようにその傷口を舐めた。
ポケットを探ると、小刀とハンカチに包んだカルモチンとが出て来た。
それを谷底めがけて投げ捨てた。
 別のポケットの煙草が手に触れた。私は煙草を喫んだ。
一仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと私は思った。



実際の金閣寺炎上の犯人は自殺未遂をするのですが、
三島の作品にそんなシーンは出て来ません。

なので僕はあえて前向きなイメージに解釈しました。


「自分の人生を阻むものを自分で取り払った、
 安定を保証するものは何もないけど自分の人生を自分で切り開いていこう」

当時の三島は31歳、文壇に登場して間もない時期でしたが、
会社組織に属さず小説家として一本立ちしようとする三島の覚悟の現れでも
あったのでしょう。


31歳でこれほどの発想を力強く繊細な文章力を使って表した本書。

こんなものを書かれては力の差にライバルはやる気をなくしたかもしれません。


誰でも人生はいつか終わると言うことは認識しているでしょう。

しかし、本当の意味で自覚している人は果たしてどのくらいいるでしょうか。


金閣も永続的に存在すると思われていますが、実は人生と同じく
限りがあるもので、もっともっと大切にしなければならない。

だからこそ燃やし、滅ぼすことで
人生の大切さを世の中の人に伝えることが目的だったということなのです。


以前、ある起業家の動画を見たことがあります。

余命3ヶ月を申告され、その日から会社員を辞めて起業し、
家族を守るために1億円の財産を残して3ヶ月後にこの世を去ります。

彼の言葉がこうです。

「私には時間がありません。なので、無駄なことをしている時間がありません。
 なぜなら、家族を守らなければならないからです。私が死んだその後も」

3ヶ月で常人を遥かに超える結果を残した彼ですが、そうじゃない人と
決定的に違った点はやはり「人生に限りがある」と自覚したからこそです。


考えて見れば僕たちとこの人の違いは何もないはずです。

明日事故にあって死ぬかもしれないし、通り魔にあって死ぬかもしれないし、
大変な病気が見つかって余命宣告されるかもしれません。


にも関わらず、無為無策に過ごしている人が多いのは
人生に限りがあることを忘れているからでしょう。


「人生には限りがある」

そう自覚するだけで明日からの行動が変わるはずです。

その瞬間からあなたの人生に時間が流れ出し、
本物の金閣のように輝きだすでしょう。


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2018.08.19 | コメント(0)
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