読後 『金閣寺』三島由紀夫 A 〜実物の金閣寺が美しくない理由|日本語3.0

インフォメーション

読後 『金閣寺』三島由紀夫 A 〜実物の金閣寺が美しくない理由


だいぶ前にやった三島由紀夫の「金閣寺」の書評の続きです。
今日ご紹介する本は三島由紀夫の「金閣寺」です。


「読後 『金閣寺』三島由紀夫 〜美しくするために金閣を燃やした?〜」http://hayato55.com/article/182736320.html?1528442765


前回のテーマはなぜ現実の金閣がつまらなく見え、
ある瞬間だけ美しくなるのか、という点でした。


今回はその回答に触れながらさらに話を発展させていこうと思います。


さて、大学生になった溝口は持ち前のハンディキャップからくる
劣等感から友人を作る勇気も起こらず、再び孤独な大学生活を送ります。


しかし、ある日そんな溝口にも友人ができました。


柏木という名の学生で、重度の内反足で歩く時は片方の足を引きずり、
ぬかるみを歩いているように肩を揺らしながら歩くほどでした。


その異形な姿から彼も周囲から孤立していました。

同じハンディキャップを背負っているものとして親近感が湧いたのです。


ある日の昼食時、柏木が裏庭で一人弁当を食べていた時
溝口が話しかけました。


「ちょっと、今の講義でわからんところを教えてもらおうと思って」

どもりながらそう話しかけると

「何を言っているのかわからん。どもってばかりいて」

そう突っぱねられ、さらに

「君がなぜ俺に話しかけてくるか、ちゃんと分かってるんだぞ。
 溝口って言ったな君。片輪同士で仲良くなろうっていうのもいいが、
 君は俺に比べて自分のどもりをそんなに大ごとだと思っているのか」

自分の心のうちまで見透かされ、たじろぐとともに赤面しました。

しかし、実は彼も自分も溝口と友達になるつもりだったと告白し、
聞かれもしないのに自分の身の上話を始めました。

彼はこのように自分のハンディキャップに同情し、親近感を湧くものや
憐憫の情を感じる人間を巧みに嗅ぎ分けて籠絡する手段に長けていました。

そのおかげで彼はすでに童貞ではありませんでした。

自分と同じハンディキャップを背負っているものの
すでに童貞を捨てている彼の生き様に憧れを似た感情をもち、
大学生活は柏木と行動することにしました。


柏木と出会い交流することによって溝口は美の真理に近づくことができ、
「現実の金閣はなぜつまらないのか」
という問いに答えを出すことができるのです。


では、柏木の思想とはどのようなものだったのでしょうか。

それについて詳しく見ていきます。

ある日、彼が溝口に尺八をプレゼントした場面がありますが、
そこに彼の美意識についてこう述べられています。

「柏木を深く知るにつれてわかったことだが、彼は永保ちする美が
 嫌いなのであった。たちまち消える音楽とか、数日のうちに枯れる生け花
 とか、彼の好みはそういうものに限られ、建築や文学を憎んでいた。・・・
 それにしても音楽の人はなんと不思議なものだ!吹奏者が成就する
 その短い美は、一定の時間をその純粋な時間にかえ、確実に繰り返されず、
 蜉蝣のような短命の生物をさながら、生命そのものおの完全な抽象であり、
 創造である。音楽ほど生命に似たものはなく、同じ美でありながら、
 金閣ほど生命から遠く、生を侮辱して見えるものもなかった」p177



ここに金閣寺放火のヒントがあるのですが、お分かりでしょうか。


つまり、尺八は音が流れては消えます。
その時の息遣いや空気の澄み具合、聞き手の気分や体調などあらゆるものが影響し、
移っては消え、あとは美しい余韻だけが残ります。


同じに見えても同じものは一つも存在せず、いつか消えるからこそ
貴重であり、大事にするものです。

いつか枯れる生け花も同じことが言えるため、柏木は生け花も愛好していました。

では、なぜこの美意識が金閣寺炎上へと繋がるのでしょうか。

それを考える前にもう一度、金閣が輝く瞬間を列挙してみます。


1.父が語り聞かせてくれた金閣

2.山あいから朝日が昇っているときに金閣が現れて輝いた

3.実際に金閣寺と対面し、帰宅したあと金閣を思い返したとき

4.空襲のサイレンが鳴り響いたとき

5.雪が降り積もった時の金閣

6.友達とダブルデートをして相手の女とキスをしたとき

7.女性の裸と対面したとき女性の体が金閣とダブって見えた。


1〜7はいずれも「限り」があるのです。

つまり、限りある美に触れた時に金閣寺が光り輝くのであり、
真の美とはいつか滅ぶものでなければならないと気づいたのです。


一方、金閣寺はどうでしょう。

溝口は「金閣ほど生を侮辱しているものはない」と言っていますが、
金閣は500年間、悠久の時を経て現在に至り、
未来永劫存在し、大事にされていかなければならないと思われています。


したがって、滅びとは無縁でそういう意味で「生を侮辱している」のです。

しかし、金閣にも時間、つまり「限り」があるとしたらどうでしょう。

200年後の人は「金閣寺ってきっとこんなに綺麗だったんでしょうね」
そうやって脳裏に光り輝く金閣寺を思い浮かべ、楽しむに違いありません。


したがって、金閣寺を真の美に近づけるためには
燃やして滅ぼさなければならないということなのです。


「真の美とは何か」

これを追求するために金閣寺炎上を題材にする三島は天才だと思いますが、
彼の発想はこれだけにとどまりません。


物語は真の美から人生論にまで発展します。

次回の記事を乞うご期待!

<三島由紀夫「金閣寺」>




この記事を気に入っていただいたら
下のバナーをクリックして
ランキング応援よろしくお願いします。
 ↓  ↓

人気ブログランキング

2018.05.30 | コメント(0)
コメントを書く

お名前

メールアドレス(非公開)

ウェブサイトアドレス

コメント

この記事へのコメント
テキストや画像等すべての転載転用販売を固く禁じます
Copyright © 日本語3.0 All Rights Reserved.