格助詞「に」の役割は大きく分けると3つある。
@存在の場所・時点
A一方向性の動作の着点
B非動的行為の動作主
杉村はこれら3つの用法は「密着の着点」と言う意味で集約されると述べている。
@存在の場所・時点
a 机の上に本がある。(存在の場所)
b 今日は10時に寝る。(時間)
c 私の家はコンビニに近い(
Aの例文は以下である。
@aの存在の場所で「着点」と言うと疑義を感じるかもしれないが誰かが本をおいた先「に」机があると説明できる。
A一方向性の動作の着点
a 机の上に本を乗せる(位置変化の着点)
b 映画館に行く(移動の着点)
c 社会人になる(変化の結果)
d 社長に会う(行為の相手)
e 学生に教える(働きかけの対象)
f 友達に本をあげる(受益者)
B非動的行為の動作主
a 母が子に掃除させる
b 友達に本をあげる
c 先生に本を借りる
aの使役は日本語教育の現場で助詞の変化を機械的に導入してしまいがちだが、これも「密着の着点」で説明できる。
子供に掃除をさせるために母が子供に「掃除しなさい」と伝えるためにある程度密着する必要があるからだ。
cの「借りる」はものは「先生」に移動するわけではないが、なぜ例外のように「に」を使うのだろうか。
それは自体を成立させるためには主体が相手に密着する必要があるからだと杉村は述べている。
つまり、「借りる」際には主体が動作主に接触し「貸して」と言わなければならないため、これも「密着の着点」だと言うことだ。
ちなみに
・私の家は学校に近い○
・私の家は学校に遠い×
「近い」と「に」は共起できるが、「遠い」とは共起できない理由も「密着性」と言う観点から説明できる。
すなわち「近い」は密着性があるため「に」と共起できるが、「遠い」は密着性がないため共起できないと言える。
「学校まで行く」と「学校に行く」は何が違うのか?
「学校へ行く」と「学校に行く」の違いも学習者からよく質問を受ける。
現在はほぼ同じ意味で使われるが、これも本来は「に」は密着性を表すのに対して「へ」は「方向」であり経路を描くのを重視した表現である。
a 蛍が向こうへちらほら
b 蛍が向こうにちらほら
aは蛍が向こうへ飛んで行く情景がイメージされるが、bだとすでに向こうにいて飛んでいる情景がイメージされる(杉村)
「学校へ行く」と「学校に行く」は場面によってどちらでも使えるため文だけを見ると差異がないが、それぞれ「行く」を「着く」に変えると違いが顕著に表れる。
c 学校につく
d 学校へつく*
したがって
「学校へ行く」は学校へ向かっている情景に、「学校に行く」は「学校」に着目した用法なのである。
「学校まで行く」と「学校に行く」は何が違うのか?
じゃあ「学校まで行く」と「学校に行く」の違いはなんだろうか?
「まで」は限界点を表すため「学校」と言う場所までつく、着点を強調すると言う意味では「に」と酷似している。
しかし、着点を表す「に」と違い、「まで」はその途中の経過も含む。
a ゴールまで走り続けた。
ゴールに走り続けた×
b ゴールまで駆け込んだ?
ゴールに駆け込んだ○
「走り続けた」は途中経過に焦点を当てているため「まで」と共起できるが、「駆け込んだ」のように着点に焦点を当てる動詞とは共起できない。
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