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読後「ツァラトゥストラかく語りき」 ニーチェ 〜天才ニーチェが語る天才の特徴〜


今回は前にやったニーチェの代表作「ツァラトゥストラかく語りき」の
要約の続編です。

『ツァラトゥストラ』


今日取り上げる個所は「新しい石版と古い石版」というところです。

ここは本の中でも多くページを割かれている箇所であり、
ニーチェの力の入れようがわかるため取り上げることにしました。


1、天才は仕事に使命と生きがいを持っている。

「自分に命令することのできない者は人に服従するべきだ。
 だが、自分に命令することのできる者もいる。
 だが、自分に服従するまでには到っていない。」

「自分に命令することのできない者」とは例えば多くの目的も使命もなく
ただ毎日学校や会社に行って決められたルーティンをこなして
無為無策に毎日を過ごしている人のことです。


このタイプの人たちは給料をもらうため、生活するため
に人生を生きています。


一方で「自分に命令することのできる者」とは自分の存在や能力を
どんな分野に活用し、発展させていくべきかを考えて、行動に移しています。


このタイプの人たちは自らの使命のために人生を使っている人たちで
天才と呼ばれている人が当てはまります。


会社員や公務員など命令される人の中では少なく、
起業家やアーティストなどのなかに多く存在します。


彼らは命令されず、自分に命令して自発的に動き、自らの目的を達成します。


必然的に天才たちは命令される者、つまり凡人たちが束になっても
勝てないほどの成果を出します。

なぜなら命令される者は目的がないため、休み時間や仕事の後や休日のために
働きますが、自分に命令する者は仕事自体にやりがいや使命感を持っているため
休むと言う概念がありません。


趣味の延長で仕事をしているような人たちなので、凡人たちと違って
苦にならず、ずっと作業していられるため当然
成果も凡人の比ではありません。

2、天才はとにかくギブする。

「賎民は、タダで生きようとする。賎民でない俺たちには、
 人生が与えられた。そのお返しに俺たちは何を与えることができるのか
 いつも考えている。


「賎民」と言うのは先ほどの「命令される者たち」のことを指していて、
彼らは基本的に自分が得することしか考えていません。


彼らは少しでも給料の高いところを探します。

彼らは生きることだけが目的なので主体的に考え行動することをせず
決められたこと以外何もしません。

そんなことをしなくても収入は得られるのでやる必要もないため
実際のところサラリーマンの中で本当に報酬に
見合った働きをしている人というのは少ないものです。


反対にイノベーターや天才と呼ばれる人たちは
とにかく最初にギブしまくります。


起業家なんて最初は全く収入は入ってきません。
それでも時間もお金も労力も全て自分の使命のためにつぎ込みます。

インスタグラムやツイッターでも有益な情報を発信している人ほど
多くのフォロワーを獲得しています。

Youtuberも最初は全く収益にならずとも動画制作を続け、
投稿しまくりコツコツとチャンネル登録者を増やしていきます。


企業はそんなフォロワーやチャンネル登録者の数を見て
案件を振るのでインフルエンサーはそうやって手にし、成功を収めます。

このように
最初に見返りなくギブしまくった人こそが結果的に大きな成功を手にします。

<ホスファチジルセリン>
シナプスが繋がりやすくなり、ひらめきや思考力、学習効果の高まりが体感できました。




3、天才は自分の情熱に忠実である。

「そして、実際、高潔な人間はこう言うのだ。『人生が私たちに
 約束してくれることを、私たちの方こそ、人生に対して守ろう』
 楽しませることができないときに、楽しもうとするべきではない。
 たしかに、楽しもうと思うべきではないのだ。
 なぜなら、楽しみや無邪気は、もっと恥ずかしがり屋なのだから。 

      〜中略〜
「善人たちは譲歩する。服従する。心では、言われたことを繰り返す。
 持ち出す理由も誰かに言われた理由に過ぎない。
 言いなりになる者は自分の声を聞いていない。」


世間では「やりたくないことの中にもやりがいを見つけることで
それが生きがいにつながって成功する」

そんな風に考えて働いて生活している人も多くいます。

しかし、そんな考えをニーチェは否定しています。


「楽しませることができないときに、楽しもうとするべきではない」
という部分がそれで、結局嫌なことを無理やり続けているだけだということです。


そうではなく心の底から本当に楽しめるものを探すことこそが
前述の「自分に命令する者」つまり天才になる条件なのです。


本当に自分の本心に尋ねなければなりません。

「楽しみや無邪気は、もっと恥ずかしがり屋なのだから」

とはそういう意味です。

そしてそんな人が増えてこそ世の中は前進するのです。


4、天才とは孤独な人々のことである。

「俺は自分の周りに輪を描く。聖なる境界だ。
 山が高くなればなるほど、俺と一緒に登る者の数は少なくなる。
 どんどん神聖になっていく山を連ねて、俺は山脈を作っている。


「山が高くなればなるほど、俺と一緒に登る者の数は少なくなる」
というのは困難な道に挑戦して努力を続けていくと周囲から孤立する
ということを言っています。

今成功している起業家やYoutuberの中には
「最初はグループでやっていて全く収入にならずに次々に辞めていった」
という話をよく聞きます。

前述しましたが、
いわゆる凡人は「もらうこと」が目的なのでそのことに我慢できないのです。

他にも起業したり、ブログやYoutubeを始めるとどうしても
孤立してしまいます。

時間と労力をギブしなければならないからというのもありますが、
天才たちは膨大な試行錯誤を繰り返すために成長スピードも凄まじいのです。

ステージがどんどん上がっていくとどうしてもそれまでの友人とは
話が合わなくなり孤立してしまうということなのです。


あとは「山脈をつくっている」という表現がわかりにくいかもしれませんが、
要は天才と凡人と秀才の違いを表しています。

人生における目的が山頂だとすると凡人は山の途中にいるかすでに
ドロップアウトしているかそもそも山に登っていない人たちで、
秀才は山のトップにいる人です。


じゃあ、天才は何かと言うと新しい山を見つける人たちです。


アインシュタインやスティーブ・ジョブズ、Facebookのザッカーバーグなどの
天才を見ればわかると思いますが、
彼らは競争を避けて新しいサービスや概念を創造しています。


これらをまとめると天才は競争を避けて新しい山を見つけようとするが、
多くの凡人や秀才はそんな山を探したり登ったりしている最中に
諦めてしまうため、天才は孤独になってしまうということです。


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2019.07.10 | コメント(0)

文例から見る教科書の初級文型の問題点


学習者が習得において誤用を発するのは学習過程で
避けられないことであるという言説が一般的である。


これは様々な状況の中で様々な例文を聞いていく中で
帰納的に文法の概念を把握していくからだと考えられる。


だとしたら日本語教科書の例文も様々な形を並列しなければ
学習者が特定の例文しか目にできなければ実生活で別の例文を聞いたとき
に混乱をきたしてしまう。


もちろん、現場教師が授業で導入していけばいいのだが、
学習者があとで復習の際に見直した際に正しく理解し直すという意味では
誤解を生みにくい例文を複数揃える方が無難である。


学校に通わない独習者の存在を考えるとなおさらである。


そこで今回は下の論文をもとに教科書の例文の問題点を拾い、
その上で文例作成の上で必要な配慮について総論をまとめた。

初級文型の導入のあり方について : 学習者にとっての教科書の文例
http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10069/5531/1/KJ00000201269.pdf


まず、文例作成をする際に必要な配慮は次の3項目が考えられる。

1、文型の意味を文例で的確に表され、類義表現について配慮されているか。
2、文例が日本語として自然か。
3、発話の状況が明確か。


以下、詳細を見ていく。


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1、文型の意味を文例で的確に表され、類義表現について配慮されているか。

例1「〜のに(逆説)」

以下は逆説の表現「〜のに」を使った教科書の例文である。

⑴「何度もノックしたのに返事がありませんでした」

⑵A:「昨日の試験はどうでしたか?」
 B:「一生懸命勉強したのに、できませんでした」

この例文を見て学習者が以下のような不自然な文を作成した(宮原1994)。

・私は映画が好きなのに、最近はあまり見ません*

おそらくこの学習者は「〜のに」を「〜けど」「〜が」と誤解したと
推測される。

「〜のに」の後件には前件から予想されるものとは食い違う事柄が
適用され、驚きや不満のニュアンスがあるのが特徴である。


したがって⑵の例文を

B:「一生懸命勉強したのに、風邪をひいてしまってできませんでした」

に変えることで誤文を防げる可能性は上がるだろう。

次は「〜つもりだ」「〜うと思っている」「〜たいと思っている」という
学習者が混乱しやすい文型の例文である。


A:「あなたは日本語を習って、どうするつもりですか」
B:「私は日本へ行こうと思っています」
A:「日本へ行って、何をするつもりですか」
B:「私は日本へいって、大学に入るつもりです」
A:「日本のどこの大学に入るつもりですか」
B:「まだわかりませんが、東京大学に入りたいと思っています」


A:できたら、将来も日本に関係のある仕事をするつもりです。


学習者がすでに付き合っている日本人の恋人がいる場合に

・私は将来彼女と結婚するつもりです。

というのであれば自然だが
まだ日本に来ていない段階で日本人の恋人もいない学習者が

・私は将来日本の女性と結婚するつもりです。

と言っていたとしたらやや不自然である。

「〜つもりだ」は他の2文型に比べて強固な意志や気持ちを含んでいるので
最後の例文に「まだわかりませんが〜と思っています」は伝わりやすいと
考えられるが他の例文は改善の余地があるだろう。

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2、文例が日本語として自然か。

例1「あなた」「〜人」


A:あなたはフランス人ですか?
B:いいえ、私はフランス人ではありません。アメリカ人です。

「あなた」というのはおそらく英語のYouの翻訳として日本語教科書に
登場し、定着したのだと推測されるが、同格、または目上の相手に対して
使用するのは失礼にあたる。


したがって学習者が誤解しないようにここでは
「あなた」の使用は控えるのが無難だろう。

また「フランス人ですか」という問いも不躾なニュアンスがある。


「出身」を導入し、以下のような例文にすればより自然な文になるだろう。

A:Bさんはフランス出身ですか?
B:いいえ、私はフランス出身ではありません。アメリカ出身です。


例2「まだ〜ない」


A:学生はもうみんな来ましたか。
B:いいえ、まだ二人来ません。


A:もう午後四時になりましたか。
B:いいえ、まだ四時にはなりません。


初級の教科書の多くはこう行った例文を採用している。
「まだ〜ていない」の形がて形導入後でなければならないため
このような形で導入しているのだと考えられる。

どちらのBの回答も「いいえ、まだです」の方が自然だろう。


3、発話の状況が明確か。

例1 指示詞「これ」「それ」


A:これは何ですか?
B:それは本です。

このような例文を読んだ学習者は「たずねるときは『これ』を使用し、
回答する際には『それ』を使用するのだ」と誤解しかねない。

きちんとイラストで状況を明示した上で

A:これは何ですか?
B:これは教科書です。

などの例文と合わせて掲載することが望ましい。


例2 「〜は〜にある」と「〜に〜がある」

A:本はどこにありますか?
B:本は机の上にあります。

A:机の上に何がありますか?
B:机の上に本があります。

「本は机の上にあります」「机の上に本があります」は明確に
状況提示しなければただ「本」と「机の上」を入れ替えただけだと
学習者は誤解してしまう恐れがある。


「AはBにある」はAがどこにあるかに焦点が当たっており、
(つまりAが存在することが前提)「AにBがある」は
Aという場所に何があるかという部分に焦点が当たっている。


この二つの違いを示すには

A:部屋に何がありますか?
B:机やパソコンがあります。

A:パソコンはどこにありますか?
B:部屋にあります。

など絵などを使って疑問文と同時に載せることで
学習者の誤解も防げると考えられる。


<所見>

以上、現行の教科書の例文に対して寸評を加えてきた。


いうまでもなく学習者にとって文例はその文型を理解するために
極めて重要なもので初めて目にした文例に不備があれば
その後の学習に支障をきたす恐れがある。


したがって教材作成者は学習者が予習や復習の際に教科書を見た際に
明確に帰納的に理解できるような例文を用意すべきであり、
教師は以上の点を踏まえて教科書に足りない例文を適宜
授業で提示していく必要があるだろう。


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2019.07.08 | コメント(0)

日本語教師の給料が上がりようがない2つの理由


今日は以前から度々議論になっている日本語教師の待遇についてです。


というのも相変わらずブログやツイッターで日本語教師の人たちが
自身の待遇の悩みを吐露しているのを散見します。


結論から言いますが、日本語教師の給料も待遇も
今後良くなることはありません。


理由は
1構造上の欠陥
2コンテンツの無料化

の2つが挙げられます。

詳しく見ていきましょう。

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1. 構造上の問題

給料が上がる仕組みは基本的に売上が上がらなければなりません。

売上を上げるためには顧客が増えていなければなりません。


そう考えると日本語学校の収益構造は劣悪です。

何しろ顧客である学生がいくら増えてもそれに伴って
教師も増やさなければならないからです。


つまり顧客とともに人件費も増えるのです。


解決策は客単価、つまり学費を上げることですが、
日本に来る学習者でいうと東南アジアなど途上国の学習者が多い中
学費を上げるのも難しいでしょう。


最近できた日本語教育推進法案を根拠に国や自治体から
公費で日本語教育を整備して教師の待遇を上げてもらうことを
期待する先生方もいらっしゃるようです。


中には北海道の東川町などでは国からの補助金を使って
外国の方に日本語教育を施しているそうです。


しかし、これを全国規模でやるとなると膨大な予算が必要になってきます。


年金すら払えないオワコン政府にそんな予算を割ける余裕があるでしょうか。

ネトウヨなどは

「外国人に金かけるなら年金払え」

とか言いそうですが、保守層の多い自民党が果たして
そんな批判を押しのけてまで日本語教育を推進するとは思えません。
 

2. コンテンツの無料化

これからの時代むしろこちらの要因が大きいと思いますが、
コンテンツの多くはこれから無料化していきます。


どういうことかというと昔は映画や本、音楽などに対価を支払って
視聴していました。


しかし、今や映画はネットフリックスで月額料金でいくらでも見られるし、
音楽もituneseで数百円で購入できます。

いや、Youtubeなら映画も音楽も無料で視聴できます。


本もフライヤーなどで月額料金を支払えば要約を読むことができますし、
ブログなどで無料で見られる場合もあります。


昔は弁護士や税理士などの士業の方には料金を支払って
コンサルをしてもらっていましたが、
最近ではYoutube上で弁護士さんや税理士さんが自ら無料で
質問に答えています。


彼らはもちろんボランティアでやっているわけではありません。


なぜこんなことをやっているかというと検索エンジンの仕様上
有料で出し惜しみしているサイトよりも無料で出し惜しみしていない
サイトの方に人が流れるからです。


「こんな素晴らしい情報をこの人は無料で公開してくれている。
 なんていい人なんだ」


そうやってファンになってくれる人がサイト訪問者やフォロワー
という形で増えます。

そうやってフォロワーやPVを稼いだ末に
企業から広告や案件を受託して報酬をもらうのです。

視聴者さんよりも企業からの報酬の方がはるかに単価が高く
Youtuberの多くはこの形態を取っています。


この波が日本語業界にも来るのです。


こちらの本でも述べてありますが、今は日本語学校で勉強しなくても
ネットに学習のための多くのリソースがあります。

<SNSで外国語をマスターする>
もう先生も学校もいらない!?



現に今までも「日本の歌が好きで歌だけで全て日本語を覚えた」
という人も多くいますが、これからの時代はますます
そんな時代になっていくでしょう。


日本語学校の先生は

「最近、日本語学校に来る学生たちの質が落ちてきた」

とよくおっしゃっていますが、リテラシーの高い学習者は
ネットのリソースで無料で勉強しているのです。


むしろ質が落ちているのは日本語学校の方で
優秀な学習者から見放されているという言い方のほうが正しいでしょう。



ここまで日本語教師の待遇が良くならない理由について
話してきましたが、ここからはどうすればいいのかという話をします。


答えは理由2で述べた流れに沿って自ら無料でコンテンツを制作する側になる
ということです。

媒体はinstagram、Youtube、Facebookなんでもいいのですが
フォロワーさんやPVを増やして企業を相手に仕事ができるようになるべきです。


どうせ薄給なら無料でコンテンツを作って自分の将来のために
なりそうなことをやた方がいいに決まっています。

教師の中には

「組織を構成するのは人間だから現場の人間が変わるしかない」

とそんな殊勝な心構えの方もいらっしゃるようです。

そんな人に声を大にして言いたいのですが、絶対に組織は
変わらないので諦めて自分で何かを始めた方が早いのです。


なぜなら日本語学校は完全に利権化しています。

教科書の会社との癒着や現地ブローカーとの癒着は長年のもので
様々なしがらみや長年のルーティンがある中で経営者でもない
一日本語教師が変革を起こしていくのは極めて困難です。


変える努力をするのは大切ですが努力の方向性を間違えると
ただ精神と肉体が疲弊していくだけです。


人を変えることはできないと割り切り、
まずは自分を変える努力をしていくことです。


傾向を正しく掴んで正しい努力をして道を切り開いていきましょう。

それでは!

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2019.07.04 | コメント(2)
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