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中学生Youtuberの活動停止について 〜学校が子供の可能性を潰した〜


今月頭くらいに「Youtube研究家」と言うYoutuberが
活動休止を発表しました。


「Youtube研究家」は中学生の少年が運営しているチャンネルで
いわゆる物申す系の動画投稿をしています。


成人顔負けの口調で軽快かつ理路整然とした語り口、丁寧な言葉の中に
見え隠れする皮肉とユーモアに溢れた言葉選び、視聴者の煽り方も
一流Youtuberのそれと変わらず、他のYoutuberと世相を斬る姿は
痛快そのものでした。


当然、Youtube界で注目を浴びぐんぐんチャンネル登録者を伸ばし、
始めて数ヶ月でなんと15万人に到達していました。


大物Youtuberも注目し、動画で取り上げられるまでになり
若き天才噺家の誕生にYoutube界は湧いていました。

そんな最中の活動中止で、一体何事かと視聴者は一時騒然となりました。


その動画がこちらです。

Youtube研究家
https://www.youtube.com/watch?v=D5N_bcktutI


どうやら彼のYoutube活動のことが学校内でも評判になり、
住所を特定されることもあり、そのおかげで家族や友人、
学校が誹謗中傷に晒されるリスクが増大するかもしれず、

それで義務教育を終えるまで活動中止すると言うことでした。


このことについて皆さんはどうお考えでしょうか。

<酵素ドリンク 〜摂取し出すといくら食べても翌日胃もたれしなくなりました>


僕ははっきり言って勿体無いなと思いました。

学校や周りが一つの才能を潰してしまったと。


もちろん、彼の学校や家族に対する被害が起きるかもしれない、
と言う懸念は理解できます。


しかし、今までだって特にスポーツ選手やタレントなどは幼い頃から
注目される人は多くいました。

アイドルやスポーツ選手は幼い頃から
テレビや新聞に取り上げられています。


当然、住所や通っている学校もすぐに特定されます。


それでも家族を始め友人が理解し、支えてくれたからこそ
若き選手たちが安心して才能を発揮し、活躍できたのです。


それに比べてYoutubeは影響力が増したとはいえ
大手メディアのそれに比べるとそこまで大したことはないはずです。

スポーツ選手やタレントなら活動を続けて良くて
Youtubeは許されないと言う意味が正直わかりません。


現に彼も「周囲に迷惑がかかるかもしれない」とは言っていますが、
まだ実害が出たわけではないのです


何かあったときに臨機応変に対応していきその過程で
賢くなっていくのが人間なので子どものうちからでも、いや
むしろ子どものうちから訓練すべきことだと思います。


学校や家族はもう少し理解してサポートするべきだと思いましたが、
「活動中止」と言う一番楽な方法を選んでしまいました。


彼は大人になったら活動を再開すると言っていますが、
正直今ほどの注目を浴びるとは思えません。

中学生だったからこそ珍しく注目を浴びたのであって
普通の大人が饒舌に話しても別に物珍しくはないからです。


彼が今後「普通」の人間として生活していくことが残念でなりません。

これからの時代はSNSで若くして優秀な人が出てきて
世の中にいい影響を与えていくべきなので住所や所属機関が
晒される前提の心算でいた方がいいと言うのが僕の考えです。


そもそもスマホ、SNSは子どもたちにそんなに悪い影響を
与えるものなのでしょうか。

<ホスファチジルセリン>
シナプスが繋がりやすくなり、ひらめきや思考力、学習効果の高まりが体感できました。





先日「小中学校スマホ禁止見直し」が検討されました。


確かに子どもが授業を聞かずスマホで遊ぶかもしれないので、
それを禁止したがる学校や教育委員会の姿勢はわかります。


しかし、良くも悪くもスマホは生活の一部になっており、
子供も大人も使いこなしていかなければならないものです。


にも関わらず禁止にする、またはすでにしている学校があると言うことは
逆に言うとスマホの正確な使い方を研究し教えていないと言うことです。


スマホでの映像授業は間違いなく学習効率を上げます。

できる学生はどんどん先に進めるし、できない学生はわからない箇所を
何度も復習することができます。


アメリカやイギリスなどの先進国はもちろん、インドネシアのような
日本より遅れていた開発途上国の学校でもスマホを使った授業の導入が
始まっています。


時代の変化と向き合った上で、どう使わないかではなく、
どう使えば人間の可能性が広がるかを探る方針に行かなければ大人も子供も
うまく使いこなしている国々に追い抜かされてしまいます。


「自分の話を聞かなくなるから禁止」と言うのはあくまで教師側の
都合であり、人材を育てると言う教育本来の目的から逸脱したものです。


先日、Twitterでこんな興味深いブログ記事がリツイートされていました。

こちらのブログではYoutubeをお子さんに見せ続けた成長の軌跡を
綴られています。

「YouTubeは子供に良くない?
 YouTubeを7年見続けた長女が現在どうなったかを書いていく」https://www.kawauchisyun.com/entry/2019/02/19/200000


このかたのご長女は発信者になり、
次女は英語のコンテンツを見ているとのことです。


こんなことは今までの教育では絶対にありえなかったことです。


スマホは子供に悪影響と言いますが子どもというのは案外賢く、
善悪の判断は簡単にできるものだと綴られており僕も同感です。


もちろん、たまたまうまくいっただけで
悪影響がでる子どもも出てくるかもしれません。


しかし、あくまで推測の話であり良い悪いを判断するほどスマホを使った
教育事例が集まっていないのも事実です。


社会に出ると思わぬ問題や矛盾に直面し、悩むことが多くあります。


その問題に対する答えは一つではなく、
正解かどうかはやってみなければわかりません。


ゆえに正解を押し付けるのではなく、大人も子どももと一緒になって
新しい教育にチャレンジして一緒に悩んで問題解決をしていく、


それが現代社会に求められている教育だと思います。


2019.02.21 | コメント(0)

これからの時代起こりうるSNS格差について


以前Yahooニュースに載っていたのですが、世界の匿名率は
アメリカ35%、イギリス31%、日本は75%だそうです。

確かに留学生たちのFacebookのプロフィール写真を見ると多くが
自分の顔であり、日々の投稿でも顔出しが当然です。


日本人のプロフィール写真は驚くほどみんな
顔を出していないのでこのデータは体幹からも信憑性があると思います。


理由はわかりませんが、日本は匿名社会です。


日本語教師の先生も恥ずかしいからという理由でYoutubeなどの
動画コンテンツで顔出しするのを拒む先生が結構います。


今日はこれについて述べたいと思います。

<酵素ドリンク 〜摂取し出すといくら食べても翌日胃もたれしなくなりました>


「顔出しや失敗が恥ずかしい」と言うのははっきり言って自意識過剰です。

顔出ししても最初は色々言われるでしょうが、
世間はあなたが思っている以上にあなたのことなんて気にしていません。


あなたはこの間ノーベル物理学賞をとった日本人科学者の名前と顔を
覚えていますか?

ほとんどの人はどちらも覚えていないでしょう。


ノーベル賞を取った人の名前すら忘れられている訳ですから
我々のことなんて絶対に気にされません。

「副業してるのが会社にバレるから」と言っても
会社があなたを守ってくれる訳ではありません。


つまらないプライドや事情で情報を発信しないのはこれからの時代
深刻なデメリットをもたらします。


なぜなら、これからの時代はSNSやYoutube、ブログのフォロワー数が
収入に直結するからです。

<ホスファチジルセリン>
シナプスが繋がりやすくなり、ひらめきや思考力、学習効果の高まりが体感できました。




何かメディアを持っている人はポルカやクラウドファンディングで
簡単にファンからお金を集めることができるからです。


そして一つのメディアのフォロワーが多い人は他のプラットフォームでも
フォロワーを集めることができます。


人気Youtuberのツイッターのフォロワー数は必ず多いです。


もちろん発信している内容との相性もあります。

ブロガーさんがYoutubeのチャンネルを開設しtwitterでチャンネル登録を
呼びかけても一定数以上流れないそうです。


テキストが好きだと言う人はどうしても映像コンテンツに流れにくい
傾向はあるようです。


しかし、それでも何のメディアも育てていない人たちよりは
人を集めることに成功しています。


このように一つのプラットフォーム、SNSでフォロワーを集められる人は
他のプラットフォームや新しいメディアができても人を集められるし、
何か自分がしたいことがあれば多くの人を動かせます。


彼らはレバレッジを効かせて稼ぐことができるため自由な時間とお金があり
さらにまた新たな勉強や投資に時間とお金を費やすことができます。


逆に一つもSNSを育てていない人は今後新しいSNSやメディアが出現しても
なかなか人が集まらず収入も上がりません


つまり、今本腰を入れて自分に適しているSNSやプラットフォームを
見つけないと生涯労働収入に頼ることになり一生貧困のままです。


日本人の労働収入は今後下がる一方でかつ怪我でもすれば収入はゼロです。

労働収入はあまりにリスクが高いのです。

こうしてSNSを育てている人と労働収入しかない人のSNS格差は
今後ますます広がっていくことでしょう。


しかし、まだまだ全然遅くありません。


いますぐ自分に合ったコンテンツを適切なプラットフォームで
アウトプットしていきましょう。


好きなことを発信していけばそれを好きな人がフォローしてくれ
好きな人、同じ価値観を共有できる人たちが集まってきてくれます。


それが今後大きな力になります。


今すぐ行動に起こしましょう。


それでは!


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2019.02.17 | コメント(0)

助詞省略の条件 A 「を」と「が」「に」


前回はドラマから算出した日常会話を元に
一番省略の多い助詞「は」の省略条件について述べた。

助詞省略の条件 @ 「は」 の場合
http://hayato55.com/article/185530940.html

今回もドラマの会話から元に「は」の次に省略が多かった
「を」「が」「に」について述べ、最後に所見を述べる。

<「を」の省略について>


「を」の省略にはどのような制約や制約があるのだろうか。
「を」の種類として城田は1次機能と2次機能とに分けている。

一次機能は他動詞の目的語として使われる文法的な意味を含まない
「を」であり、「を食べる」「を見る」などがこれに含まれる。

二次機能は動詞もそれと共起する名詞も強い意味のつながりを持つ「を」
であり、「家を出る」「道を行く」などがこれに該当する。

a. 早速、名前(無・を)考えなくちゃな。
b. これ(無・を)貸してくれない。
c. 飯(無・を)食ってもいいかな。
d. 近いから、公園(無・を)通ろうか。

a~cは1次機能にあたり、dは二次機能に該当するが
特に制約がなく省略できそうである。


次の例を参照されたい。

e. そういう生き方(無・を)一度はしてみたいのよ。
f. あんな嬉しそうな母さんの顔(無・を)みてたら、もも(無・を)
 取り上げる気に慣れないのよ。
g. 母さんがもも(無・を)あやしている時の顔(無・を)みたこと(無・が)ある?

このように副詞や節が間に介在しても制約なく省略できる。
fの「顔を見てたら」は複文の従属節であるにも関わらず、省略でき、
gの「ももあやしている時の顔」は連体節の中で省略しても不自然ではない。

以上のように「を」は動詞との格関係が明白であるため
省略しても意味が通じるため省略可能な例が多いことがわかる。

<酵素ドリンク 〜いくら食べても翌日胃もたれしなくなりました>


<「が」の省略について>

そもそも助詞「が」の役割は「主題ではない主格を表す役割」もしくは
「選択、特定、または排他的な意味合いを持つ役割」であるとされる。

「主題ではない主格」とは「母が帰る」「鼻が大きい」などであるが、
これらは同時に「母が帰るが他の人は帰らない」「目や他の部分は
大きくない」という意味合いが含まれる。

それが「選択的、排他的な意味合いを持つ役割」である。


ではどのような場合に「が」は省略可能になるのか。
以下は省略可能な例文と不可能な例文を列挙した。

(省略可能)

a お前(無・が)書けよ。
b おしっこ(無・が)できないよ。
c ちょっと調整(無・が)狂ったけどうまく取り戻せた言ってたから。

(省略不可能)

d 野球よりサッカーの方が*面白い。
e 釣りは海でが*面白い
f 招待客は福岡からが*まだ来てない。

eやfでは「が」の役割である特定機能が失われるため、
省略不可能となっている。

このように省略することで明らかに格関係が崩れるものや
意味の差異が生じるものは省略できない。

そうでない限りcの例文のように「が」が文頭であっても省略可能となる。

これらの例から「が」省略の条件として

「格関係に意味の違いが生じなければ文頭でも文尾でも省略できる」
と考えられる。


また、省略不可能な例として連体節における「が」が挙げられる。

g 先週山本(が・無*)食べたレストランとても高かったんだって。
h 昨日山本(が・無*)ケーキ買った店とても美味しいって評判なんだよ。
i 昨日友達(が・無?)行った店安くなかったそうだよ。

一方「を」は連体節の中でも省略可能である。

j 赤い帽子(無・を)かぶっている人が先生です。
k みかん(無・を)食べている動物がヒヒです。
l 外国人(無・を)を雇う店が増えている。

連体節のなかで「が」が省略できないのはなぜだろうか。

g,hの述語である「かぶる」「食べた」と本来共起する格助詞は「を」で
iの「行った」と共起する格助詞は「へ」「に」である。

したがって、それぞれを復元すると以下のようになる。

g 先週山本(を)食べたレストランとても高かったんだって。
h 昨日山本(を)ケーキ買った店とても美味しいって評判なんだよ。
i 昨日友達(へ)行った店安くなかったそうだよ。

このように本来の助詞を復元するとそれぞれ全く意味の通らない文になる。
格関係を明確に表すため連体節の「が」は助詞は省略不可なのだと考えられる。

連体節においても形容詞述語の場合「が」の省略は可能になる。

m 魚料理(無・が)うまい店知らないか
n 足(無・が)すごく丈夫なやつしかそんな距離歩けないよ。

形容詞述語の場合、通常「が」が必須の助詞であり、省略しても
格関係に意味に差異が生じないため省略可能なのだと考えられる。

したがって次の例でも省略可能である。

o この中に英語(無・が)話せるもの何人いるだろうか。
p この辺できれいな海(無・が)見えるとこ知ってるよ。

「話せる」という可能形と「見える」という自発形の助詞は
本来「が」であるため省略しても意味が通じるからである。

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<「に」の省略について>

「に」が省略できるのは以下の場合である。

a 医者(無・に)行けよ、俺、バイトだから。
b ねぇ、お風呂(無・に)入ろうよ、みんなで。
c 今日、パリ(無・に)発つのか。

ドラマの会話では「に」の省略は「行く」の前の「に」省略が多かったが、
方向や着点を示す「に」は他の格助詞の介在を許さず動詞と強固な
繋がりがあるため省略可能になると考えられる。


また、受け身文、使役文など「に」を省略すると明らかに
格関係が崩れる場合は省略できない。

d 僕、山田(に・無*)殴られたことあるよ。
e 田中さんは3歳まで子ども(に・無*)携帯を使わせなかった。

したがって、助詞「に」の省略は動詞との格関係が強く省略しても
意味の差異が生じない「行く」「入る」などに付随する
着点や方向を示す用法に限られていると言えそうである。


<助詞の省略についてのまとめ>

前田のドラマの会話からの収集例を検討した結果、
「は」「を」「が」「に」の順に省略が多く、「は」の省略が多いのは
日本語では相手と共有できている話題について述べる際には
「は」の省略が可能であり、「を」の省略が次に多い理由は「を」は
動詞との繋がりが強固で省略しても意味に差異が出ないからである。

「が」の省略がやや少ない理由は連体節の省略に制限が出るためと
「が」は主体や強調などと言った重要な役を担っているからだろう。

「に」は着点や方向を示す例以外、省略できる例がほぼないことがわかった。


今後は研究結果を日本で生活、就労する学習者にどう指導していけばいいのか
検討していくことが課題点だろう。


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2019.02.15 | コメント(0)
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